他者受容と自己開示

否定的な人は、疑いを持ったり、ネガティブな反応から先ず入る。人の言葉を素直に聞けないのだ。「そんなの偶然ですよ」「たまたま運が良かっただけ」「その人が特別な人なんですよ」「話を少々オーバーに表現してるのでは?」「僕は話半分に聞いておきます」「またまたぁ、騙そうと思って!」「素人には無理ですよ」「出来る訳がない」

あるいは口に出さないまでも、この人は自分をだまそうとしているのでは?とか、こんな旨い話があるはずない!と疑いが頭をよぎるから、簡単には信じない。

自分で見たものだけが真実で、それ以外は誰が何と言おうと疑いから入る。

心理学的に見れば、疑いから入る人の特徴は、過去に人に騙されたり、自分だけ仲間はずれにされた経験を持つ人が多いそうだ。

心理学的に見た第三者に対する判断基準については以下の記事を参照ください。

その判断が可能性を潰すってタイトルをつけたんですが、意味は分かりますか? 取捨選択を誤ると失敗するってことなんですが、その取捨選択をし...

また、逆に自分だけが騙されなかった経験から慎重になる習慣が身に付いていたり、過去の教訓から簡単に騙されないようにしようとする姿勢が、心の中に疑いを最初に作り出し防御壁越しに真偽を見極めようとしているのだ

オレオレ詐欺で、絶対に自分は騙されないと断言している人が騙される。疑い深いから簡単に他人を信じない人が何故騙されるのか?

それは信じられると判断した瞬間から、疑う余地がなくなる性格にある。否定している間は疑いを持っているため簡単に心を開かず聞く耳も持たない。

ところがその疑いが晴れると、とことん信じ込む。今度は自分が大丈夫と判断したんだから間違いは絶対ないと思い込む。

正しいのはいつも自分で他人は自分自身の利益のために簡単に人を騙すものだと思っている。だから信じられるのは自分だけ。

こういう性格の人は、自分が否定的に思っている事に対し同調してくれる人を仲間と思い込む。信じているのは自分だけだからその自分に同調してくれる人は自分と同じ考え方の人という枠(フレーム)が出来上がる。

これは誰一人例外なく言えることだが、私たちは多かれ少なかれ自分の属するフレームを持っている。意識無意識にかかわらずフレームを用いて、仲間なのか仲間じゃないのかを分類をしている。

いろんなフレームがあるが、このフレームを意識して捉えたり、あるいは意識してそのフレームから飛び出したりすることで、自分の人生を変えることが出来る。

恐ろしいことに個人的に作り出したフレームやそこに対する帰属意識には、目に見えない枠組みにもかかわらず勝手な意味を持たしている。それが「フレームに対する価値観」なのだ。

自分のフレームを意識して捉えるということは、言い換えれば自分自身の価値観を知るということなのだ。

普段から意識してそういう見えないものに目を向けて観察する癖をつけると、他人の価値観の根拠が理解しやすくなる。

この人にとって何が大切で何がどうでもいいのか、どうしてそういう価値観になったのか
ということが分かるようになってくる。

コミュニケーションは他者受容と自己開示で成り立っている。他人を理解する上で、この目に見えないフレームを理解することは他者受容の大きなアウトラインを掴む作業に当たる。

人が口にすることは、その人が自分をどう思ってもらいたいかという欲求が多く含まれる。

例えば、自己紹介。何を話してもいい状況で誰も質問していないのに自分のことを人に知ってもらおうとして話す。心の中を覗いて見ると「私はこんな人なんです。だから私をこういう人だと理解して付き合ってください。宜しくお願いします」って挨拶しているようなものだ。

私の主催するコミュニケーション研修では、自己紹介に時間をかける。参加者全員がフレームを意識しながら互いの共通点や違いを理解する。

決して言葉だけではなく、心から繋がる、嘘をつかなくてもいい、お互いが自分をさらけ出せるコミュニケーションを目指す。

他者を受けいれ、自分をさらけ出す。他者受容と自己開示がコミュニケーションの原点だということを理解して欲しい。

そういう人間関係の中にしか生まれない本当の心の通じ合ったコミュニケーションがある。

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