幸せを考えてみた

2011年11月15日
ブータン国王とその王妃が来日されました。その時、テレビの来日を伝えていたニュースで「世界一幸せな国ブータン」と報道されてました。

そのように報道された根拠は、「幸福度指数」と呼ばれる、その国の国民が自分の国を幸せかどうか判断した結果の数値が基準となっているそうです。

この幸福度指数はブータンがブータンの国を計る目的で作られた指標で他の国との比較ではないそうです。実にブータン国民の97%が私たちは幸せと評価しているようです。

そこでふと疑問に思ったのが、日本はどうなの?ということ。物質的に豊かで何不自由無く教育が受けられて、医療や福祉も他の国に比べて遥かに充実しているように思えます。

その日本の国民は自分の国をどう思っているのか?

何かがあるから幸せで何もないから不幸せという観点で見れば、物に溢れた日本はブータンより間違いなく幸せです。

ブータンという国を少し調べてみると、旅行者にとっては手つかずの自然や仏教文化を楽しめるタイム・スリップをしたかのような旅ができる国と言われています。

国土の70%以上が森で覆われ、その大自然には、絶滅の危機に瀕した動植物が生息しています。

旅行者が言う、まさに何もないからこそ「癒される国」だということが分かります。

上述しました国民の97%もの人が、何もないこの国を「ブータンは幸せです」と言えるのは何故でしょうか?

他の国のことを知らないから、何もない国で満足出来てるんじゃないの?という意見もありました。一度都会の便利さを味わうと「もう不便な頃には戻りたくない」と思うに違いないと。

ですが、ブータンは大の親日国です。日本の国を模範にして日本のようになることを目標として国民が意識しているのは事実です。現在の日本がどのような国かということもブータンの人々はよく知っています。

何もない国ブータンの国民の97%が、自分の国を幸せな国と評価したポイントを探ってみましょう。

先ず、ブータンという国は、国家が豊かになる施策よりも、そこで暮らす人々の生活が豊かになることが国が豊かになるという事実に気づきました。

モノ中心の社会では、物質的な豊かさを追い求める産業しか繁栄しません。自然や文化の保護は後回しにされ、発展こそが正しい道になってしまいます。

また、何もないから素晴らしいと言われるブータン王国が、古来より大切にしてきた安定した生活スタイルや文化が、モノの発展や利便性の向上によって後世に引き継がれない可能性が出てきます。

さらに、モノの豊かさに固執すると家族の団欒や人々の交流のための大切な時間が無くなったり、自然と触れ合うことも徐々になくなり、国民の精神的な安定も損なわれて来ることになります。

そのことを他国の発展から学んできたからこそ、日本のように発展こそ正道という間違った姿にならなかったとも言えます。

健康や精神的な豊かさを大切にするブータンでは、国民の90%が農民として自給自足に近い生活をしています。

自分たちの生活で必要なものを自分たちで作り、市場で物物交換に近い売買を行います。
決して儲けるためではなく、無い人のために与えるやり取りが行われるそうです。

ブータンでは、教育にかかるお金がほとんど掛かりません。幼稚園からの教育は無料で、国の将来を背負う若者の育成に国が力を入れています。

また、決して十分とは言えない医療レベルとはいえ、医療に掛かる費用も国が負担してくれます。

このことから感じたことですが、競い合う必要がないから、勝った負けた、損得、誰が優れていて誰が劣っているかなど、他人と自分を比較したり評価をしたりする必要がない。

割り込まれたら腹が立つから、自分がされたら腹が立つことは他人にしない。それでも割り込まれたら腹を立てずに入れてやる。

一つしかないものは、分け合えるなら分けて、分け合えないなら譲ってあげる。

勤労感謝。お父さんお母さんの言うことを聞く。挨拶は自分からすすんでする。兄弟友人とは仲良くする。

なんだか昔の日本に似ていませんか?

実際にその状態の日本を想像してみたらよい意味で鳥肌が立つのですが、争いごとがない世界って本当に出来るんですね。

我先に他人を押しのけても、自分が得するように必死にならなければいけなくなったのはいつからなのでしょうか?

楽して生きていける人と死に物狂いに働かないといけない人が一緒にいる世界が間違っていて、頑張らないと生きていけない人は自分のできる範囲で精一杯頑張ることで誰かが手を差し伸べてくれる、人々が助け合える世の中なのだと思います。

昔の日本には修身という教育がありました。戦後新たな時代を迎えるにあたって、その内容は見直され現代の教育に変わっていくのですが、失くしてはいけないものが昔の日本にも沢山あったのに、復興の陰に置き去りにされた結果がいま出ているのだと思います。

今の日本がブータンのように「私たちは幸せです」と国民が胸を張って言えるようになるには、どうすれば良いのでしょうか?

個々の独自性を尊重してもらえる世の中になってきて、個性という言葉をよく耳にします。
常識というくくりが、強制されているという意味で捉えられ、そこからはみ出すことが個性として認められる社会になってきています。

常識という概念では通用しなくなると、次はルール、その次は法律でしか、人をまとめあげる術が無くなってきます。

良いのか悪いのかという判断が自分でできない、道徳心なんてあやふやな基準で良い悪いを判断出来ない世の中になってきています。

これは人のためになる、誰かの役に立つ。これはしてはいけない、困る人がいる。そういう判断が必要な場面が周知の事実としてもっとたくさんあったように思います。

他人の困る行いをして注意されれば「どこに書いてある?」「誰が決めた?」などと、開き直る人間がいる。こんな人間に関わると幸せなんて言葉は一瞬にして吹っ飛びます。

まだまだ幸せは遥か遠くという気がします

爆発的に、ドライブレコーダーが売れています。事故の記録よりもあおり運転や他人との運転上のトラブルの証拠を記録するために購入する方が多いそうです。自分が何をされたか。ここでも守ってくれるのは法律です。

道徳心があれば、割り込みもない、あおり運転もない、競い合わないから問題なんて起きないのに、爆発的に売れるということに、幸せな世の中はまだまだだと感じます。

幸せな世の中を作るために、今後、大人への道徳教育と新しく親になる方々への子育て教育に力を入れようと思います。日本全国幸せな世の中を作るために何をしなければならないかを説明して回りたいと思います。

自分を取り巻く環境をその人の持つ社会とするなら、この世の中は小さな社会がたくさん集まって大きな社会を作っていると言えます。

大きな社会で世の中を見ると、それぞれが持つ小さな社会が互いに干渉し合う箇所があります。

私たちは一人では生きていけない。だからこそ、その干渉する部分を大切に考えないといけないのだと思います。
「他人は他人、自分は自分」じゃ、決して上手くいかないと思います。

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